Dr. Mutsuko Takahashi BLOG

ニューヨーク在住、英文学博士・個人投資家の高橋睦子【Mutsuko Takahashi】です。ブログへのご訪問ありがとうございます。

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文学とは何か!?文学との出会い

今や、私にとって文学の研究は一生をかけても結論に達することができないほど広大で深い世界となりました。

 

英語だけを学びたいのであれば、語学学校でその目的を達成することができます。それでは大学教育における英文学科とは何でしょう!?英文学科の機能と学生に提供し得るものは何でしょう!?英文学科の学生、または英文学科を目指している方に向けて、その目的と重要性について語りたいと思います。

 

 

英文学科の概要

大学における勉強は、高速道路に例えるならば、すでに誰かが建設した道路をたどることです。一方で、大学院における研究は、まだできていないところの道路を自分で建設していく歩みに似ていると思います。

 

大学に入学する際、わずか18歳で進路を決めなくてはなりません。もちろん後で修正可能ですが、18歳というのはとても未熟です。

 

今でこそ、文学研究の意義をあらゆる側面から追究するようになりましたが、大学の入学当初、英文科を選んだ理由は単に英語が好きで、文学も好きだったからでした。その当時はまだ、大学教育における英語とは何か、英文学、言語学などについて、英文学科が提供するかもしれない哲学的な見方を学ぶことの意義について考えたことがありませんでした。

 

 

幼いころの読書体験

英文科の意義について詳細を語る前に、私の個人的な読書の歴史について話したいと思います。

 

私の両親は読書家で、家の本棚はまるで小さな図書館のように壁一面に張り巡らされて設置されていました。

 

そのような環境の中、私の文字の習得は比較的早かったです。 私には2~3歳の頃の記憶が少しあります。なぜ年齢を断定できるかというと、私は三歳から保育園に通ったのですが、祖母が「来年になったら、お別れだよ」と言って、テレビで悲しい物語を見ると泣き転げるほど繊細だった私は、祖母のその言葉に大変なショックを受けたものです。「なんでお別れなの?」と悲しみに打ちひしがれて聞いたところ、「保育園に入るからだよ」と言われたのです。なんと大げさな!今までより頻繁に会えなくなるという意味だけでした。私は早生まれですので、2~3歳の頃の記憶というわけです。ちょうどその頃、生まれて初めて自分で本を読みました。それはイソップ童話の『うさぎとかめ』でした。

 

もちろん、かろうじて習ったばかりの文字が読めるという段階であって、作品全体の意味をつなげるということは出来ない年齢です。

 

文字をひとつひとつたどりながら、意味をつなげることはなしに、長い時間をかけて、文字だけを読み、最後まで物語を読み終えたときに得た達成感を覚えています。

 

その時を振り返れば、文字、単語、文章という中で、文章の最小単位である文字だけを追っていたと思います。まさに木を見て森を見ずという感じでしたが、とにかく読み終えることは出来ました。それが人生で最初の読書体験です。

 

私の両親は、本だけでなく耳から聴くストーリーも幼少の頃、たくさん私に与えました。世界の名作シリーズで、『青ひげ』や『幸福な王子』『ヘンゼルとグレーテル』など、その他多くの作品群で、今思うと、このような崇高な不朽の名作に幼児の頃から触れることができて嬉しく思います。

 

耳から聴くストーリーは、映像もなく、文字情報もなく、耳から聴いた情報だけが頼りでした。音だけが物語の世界を作ったので、その物語は私の心の中で無限大の想像の可能性を秘めて成長し、脳の中で映像化されて膨らんでいきました。

 

これらの体験は、私の感覚に多大な影響を及ぼし、感性を育成するのに大きな役割を果たしたと信じています。このように、私は人生の初期の段階から物語の世界にさらされていました。

 

文学の意義への目覚め

私は大学で、とある授業を受けるまでは、これまで述べたように、単に英語が好き、文学が好きという理由以外に、大学の英文科で文学を学ぶことの重要性を深く考えることはありませんでした。

 

しかし、その日は突然来ました。ある日、私は『嵐が丘』の授業を受けていました。このクラスに参加する前は、私は単に文学が好きなだけであり、その理由と意味については考えていませんでした。

 

嵐が丘』に関しても、私は後に『嵐が丘』で論文を書くことにまでなりましたが、当初は、まあ素晴らしい作品ではあると思っていましたが、本当に特別に好きだというわけでもありませんでした。ところが、突然変わったのです。

 

教授のたった一言で。

 

変わったのです、何もかもが。文学に対する見方も、その後、大学院に進んで研究者を志すに至ったことを考えれば、人生までもが変わったといえます。

 

教授は言いました。「ロックウッドは人間が好きなんだよ」と。その瞬間、私の脳裏に光が輝きました。これが英語でいうAha momentの到来でした。

 

だって、物語の冒頭でロックウッドはハッキリと"a perfect misanthropist's heaven(完全な人間嫌いの天国)"って述べて嵐が丘を説明しているからです。テキストで実際に述べられていることとその背後に隠されている思想の存在を知り私の中でそれまで休眠していたものが活性化し始めたのを感じました。

 

教授はその言葉を宣言しただけで、それ以上この問題については語りませんでした。そのため、私は『嵐が丘』を読み直し、教授がなぜそう言ったのかを必死で考えて、そしてある時ついに私自身の答えを見つけました。

 

ロックウッドはネリーに、ある種のゴシップに対する強い好奇心で、嵐が丘の人々についてもっと話すようにお願いします。

 

ロックウッドのこのような人間に対する好奇心は、彼の防御的な態度の裏にある感情的な動きによっても明らかにされています。例えば、彼はキャシーに密かな恋慕の情を抱いたとき、海辺での少女に対する過去の恋慕の情と重ね合わせ、かつて少女に対する思いを心の中で言い訳を次々に並べて、最終的にどうすれば良いかわからずにカタツムリのように縮こまってしまったことを思い出す。このような観点から、ロックウッドは本当に人間的で、人々に興味があるのだといえます。

 

書いてないことを読む

それ以来、私は英文学科での自分の立場を知り、文学研究の意義について考え始めました。

 

英文学科の学生が文学作品を読むとき、学生はテキストに書かれている文字だけでなく、その背後にある思想を読まなくてはなりません。それが本当の読み方です。

 

私は、教授は引き出しのようなものだなと思いました。しかも四次元の引き出しを持っている人物。教授は学生が望むならば、その引き出しにアクセスすることを許可します。

 

英文学科の意義とは何か!?

英文学科の目的は、文学を通じて心理学や社会現象の普遍的な問題についての理解を深めることと、そのカリキュラムを通じて文化的現実を研究することだと思います。

 

小説や詩を読むだけでなく、哲学、宗教、歴史、政治、美術、音楽、舞台芸術などとの

関連性の詳細を学び、文学の歴史や、歴史そのものの知識を習得する必要もあります。

 

このように、英文学科は思考と文化の深い理解に基づいて勉強をする機会を提供していると思います。

 

そのような研究がなぜ重要であり、なぜ必要とされるのでしょうか!?

 

文学研究は知的な探求から始まります。疑問に思ったことについて知りたいという欲求は人間の自然な本能です。我々は真実への探求を望んでおり、それは原始的な欲望の一種です。

 

この欲求を満たすものを見つけるという試みこそが研究であり、そのアプローチ自体と知識を共有することが学術的活動であるといえます。

 

私は、個人の知識欲が人間の重要な欲求だという考えに同意しますが、「研究」となると、それは単に個人的な欲求を満たすことではないと断言したいと思います。というのは、そこにはある種の普遍的な価値観がなければならないと強く信じているからです。

 

文学における普遍的な価値とは

それでは、文学研究はどのような普遍的な価値をもたらしているのでしょうか!?

 

疑問に思いながら生きている人もいれば、一生疑問に思わない人もいる問題。それは「私は誰」というアイデンティティの問題です。文学研究は、「私は誰」という問題を提起することから始まり、それは究極的には森羅万象の本質に迫ります。

 

文学をより深く理解しようと努めることは、他者が何者で、自己が誰なのかを追求することにつながります。心理学的にも歴史的にも自分がどこにいるのか知りたいので、歴史的・心理的観点から文学を学びます。このように、文学研究は、他の研究分野の影響を受けながら、また読者の成長とともに解釈に変化をもたらしていきます。そのような動的な性質から、文学のテキストは一種の社会学的様相を帯びているということもできるかもしれません。

 

歴史的背景を知らずに文学作品の価値を正しく知ることは困難です。

 

文は文脈の中に位置している場合のみに意味を成すことができるので、文学作品は歴史的文脈の中で位置を得たときに意味を成すことができるのだと思います。

 

すでに述べたように、私の最初の読書体験は、文字を読み文脈を読まないことでした。大学の初期の読書体験においては、文脈を読んだが、その背後にある思想を読みませんでした。そして今は、思想を読むことこそが大事であると思っています。

 

文学テキストには、その時代の人々の思想、彼らが自分の信念を見つけた場所、彼らの人生の問題が何であったか、そして彼らがどのように生活していたかが含まれます。

 

このように、文学研究をする者は、作家が文学作品を通して、何を伝えようとしていたのかを分析します。

 

長いので、文学と他の分野を決定的に分ける文学だけが持つ特徴について別記事で述べることにします。

こちらです。↓

文学とは何か!?他分野との決定的な違い - Mutsuko Takahashi BLOG

 

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