ヘミングウェイとフィッツジェラルドの文献:作品論
この記事では、ヘミングウェイとフィッツジェラルドの文献から、作品論について書かれている本を紹介します。また、これらの本を選んだ理由も述べます。
- Ronald Berman, Translating Modernism : Fitzgerald and Hemingway, 2009
- Ronald Berman, Fitzgerald, Hemingway, and the Twenties, 2001.
- Catherine Morley, Modern American Literature, 2012.
Ronald Berman, Translating Modernism : Fitzgerald and Hemingway, 2009
この本は、フィッツジェラルドとヘミングウェイのテキストを心理的および芸術的に探求しています。フィッツジェラルドの作品は、フロイト理論を用いて考察されています。ヘミングウェイのテキストは、セザンヌの芸術的なスタイルによって再解釈されています。
フロイト理論を用いた解釈では、フィッツジェラルドの「冬の夢」は、彼が子供の頃に持っていた夢が含まれているにもかかわらず、作者の自伝ではないということが主張されます。
ヘミングウェイに関しては、セザンヌの絵のスタイルが彼の執筆に影響を与えたということが主張されます。セザンヌは、不必要なものを排除し、本質的な要素のみを適用する芸術的手法を用いて単純化を図ります。ヘミングウェイは、複雑な性質を捉えるために原型に戻るというアイデアに触発されました。
この本を選んだのは、フロイトの夢理論を応用している点が興味深いからです。私の考えではフロイトの理論における夢の作業は、物語を語ることに似ていると思います。二次的加工により、「夢」も「語り」も本当の意味に到達しません。意識が介入するからです。その点において、私はフロイトの夢理論とセザンヌの芸術スタイルに共通する要素を見出します。基本的な形に戻るというセザンヌの芸術的原則は、無意識の領域に近づくことによって現在的内容から潜在的内容を追跡する試みと似ています。
Ronald Berman, Fitzgerald, Hemingway, and the Twenties, 2001.
この本は、作家としてのフィッツジェラルドとヘミングウェイの潜在性を探るための新しい方法を追求しています。またこの本は、両方の作家の考えがジャズエイジと失われた世代の領域を超越していることを観察しています。
彼らは作家であるだけでなく、熱心な読者でもあります。そのため、彼らは当時の知的傾向を読み取る能力と鋭い感性を持っていました。彼らは、アイデアとイデオロギーが矛盾し、衝突している時代に生きていて、小説の中でそれらの矛盾する要素を統一しようとしました。
この本の著者バーマンは、『グレートギャツビー』はフィッツジェラルドの小説の進化形ではなく、突然変異であると考えています。彼がこの小説が突然変異であると言う理由は、新しいアメリカの小説が現在の瞬間を捉えるだけでなく、アメリカの歴史における新しい経験も包含するからです。
また、バーマンは『日はまた昇る』の研究で、パリvsスペイン、インサイダーvsアウトサイダー、中世vs現代などの二項対立の間の緊張を発見しました。この視点は、私が別記事で書いた「価値の交換」のテーマを考察するにあたり重要なので、この本を選びました。
Catherine Morley, Modern American Literature, 2012.
この本は、アメリカのモダニズムの起源をたどることによって、失われた世代とジャズエイジがどのように作品に反映されているかということを解明しようとします。
この本は、第一次世界大戦が失われた世代の作家、人間関係、フランスに住むアメリカ人、そして消費主義に与える影響について詳細を説明しています。この本では、ヘミングウェイの『日はまた昇る』とフィッツジェラルドの『夜はやさし』について論じており、フランスに住むアメリカ人の研究をアイデンティティの精神分析的側面と社会・文化的側面の両方から解釈を試みることが出来ると思ったので、この本を選びました。
この研究では、前述のふたつの小説におけるフランスが、新しい家ではなく別の場所に行く途中の一時的な場所であることを指摘しています。しかし一方で、海外に住むことはアイデンティティの隠された部分を明らかにするための触媒として機能することができるとも述べています。この点で、フランスへの旅は、登場人物が目的地に到達するために障害を克服するための精神的な遠征であると主張しています。