Dr. Mutsuko Takahashi BLOG

ニューヨーク在住、英文学博士・個人投資家の高橋睦子【Mutsuko Takahashi】です。ブログへのご訪問ありがとうございます。

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18世紀のセクシュアリティ研究:『ファニー・ヒル 一娼婦の手記』

ジョン・クレランドの『ファニー・ヒル 一娼婦の手記』を窃視のテーマをもとに、ラカン的眼差しの精神分析的視点をポストコロニアル的視点に拡張することで二項対立の脱構築を試みる。

 

 

はじめに

18世紀の他の作品とは根本的に異なるジョン・クレランドの『ある快楽の女の記憶』は、この時代の従来の標準から逸脱し、娼婦の明るい未来への展望を切り開いた。その独自性は、他の同時代の作品と比較することで、より明確になるであろう。

 

今回は、次の3つの観点から論じたい。

    1. 『ファニー・ヒル 一娼婦の手記』における娼婦の運命が他の作品とどのように異なっているか、
    2. 顕微鏡が文学分野に影響を与えたかもしれないことを紹介し、顕微鏡的視点を用いて細部を観察する。
    3. 窃視のテーマをもとに、ラカン的眼差しの精神分析的視点をポストコロニアル的視点に拡張することで二項対立の脱構築を試みる。

 

さらに、このユニークな結果が、当時のイデオロギーをカモフラージュするための風刺的な戦略である可能性を示唆するものである。

 

娼婦の運命の比較

まず、ウィリアム・ホガースの絵画作品『娼婦一代記』を見て、『ファニー・ヒル 一娼婦の手記』の娼婦の運命が他の作品とどう違うかを明らかにしよう。

 

Lewis Walpole Library Digital Archive【検索ワード: prostitution】

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『娼婦一代記』 (1. モル・ハックアバウト、チープサイドのベル館にたどり着く)

 

『娼婦一代記』(1. モル・ハックアバウト、チープサイドのベル館にたどり着く)では、モルがロンドンに到着した様子が描かれている。モルの運命を予感させるかのように、顔に梅毒のような病変を持つ売春宿のマダムは、モルを売春に引きずり込もうとしている。倒れそうなフライパンの山は、モルの転落を象徴していると言われている。両親の死後、ロンドンでブラウン夫人と出会ったファニーの境遇は、『娼婦一代記』(1) の描写にとてもよく似ている。

 

次に、『娼婦一代記』(6. モルの葬式)で、売春の結果について見てみよう。

 

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『娼婦一代記』 (6. モルの葬式)

 

梅毒で死んだモルの葬儀の通夜に、娼婦仲間が集まっている。モルの息子と思われる少年が、棺のそばで無邪気に遊んでいる。絵の中の左右の男たちは、女性を娼婦と見くびって、性的な誘惑をしようとしている。ホガースの絵画では、18世紀の混沌とした社会問題が、むき出しの風刺画によってドラマティックに描かれている。梅毒に冒された娼婦の絶望的な行き先が描かれている。

 

それに対して、クレランドの小説では、売春を終えたファニーの人生は希望に満ちている。小説の最後で彼女が語るように、彼女の人生は健康な妻、そして“bestow a legal parentage on those fine children (186-187)”「あの立派な子供たちに法的な親権を与えることができる」母として続いていくのである。

 

売春の行き着く先は、通常、ホガースの絵画に代表されるような悲劇的結末が広く受け入れられていることと比較すると、なぜファニーはハッピーエンドという結論に至ったのだろうか。このように考えると、ファニーを信頼できる語り手と見な すことができるだろうか。

 

公的と私的の二項対立

ファニーが信頼できない語り手であることを考えると、彼女の語りの背後に潜むイデオロギーを観察することができるかもしれない。この仮説的な視点の理解を深めるために、18世紀における公共性の概念に注目したい。当時の公共性の概念は、開放性と閉鎖性の緊張関係の上に成り立っており、それは次のように要約される。

 

         公共性                  閉鎖性

コーヒーハウス(公共の社交場)          ➡    エリートの会員制クラブ

娼婦のファニー(公共の女)     ➡     精神的な私的領域を大切にする

書簡体小説の出版       ➡      プライバシーの開示 

手紙:外部とのコミュニケーションツール ➡ 内部とのコミュニケーションツール

(書き手と受け取り手)             (二人の自分:書く主体と書かれる主体)

 

このように、公的な社交場を推進するコーヒーハウス文化の隆盛は、同時に紳士のための会員制クラブなどの私的な場を、二項対立として生み出してきた。表向きの自由な社交性は、その背後にある私的領域を確保する排他的な階級意識なしには存在し得なかったのである。

 

プライバシーをめぐる二つの勢力の主導権争いは、ファニーの物語を解き明かす重要な視点となるかもしれない。というのも、公的な女性としてのファニーの中心的な要素は周辺に押しやられ、疎外された要素であった私的な精神領域が、売春の末期には逆に中心的な位置を占めるようになったからである。

 

顕微鏡的視点と眼差し

そもそも書簡体小説というのは、それ自体が他人のプライバシーをこっそり覗き見るための媒介ツールなのだ。たとえばサミュエル・リチャードソンの『パミラ、あるいは淑徳の報い』の場合、B氏は実際にパミラの手紙を盗み見して読んでいる。他人の私生活を覗き見することは、窃視的な側面を持ち、『ファニー・ヒル 一娼婦の手記』で他人の性行為を覗き見する盗撮行為と比喩的に似ている。


覗き見の状況下では、視線を与える主体と視線を向けられる対象との間に関係性がなければならない。この関係の延長線上に、たとえばジョセフ・アディソンは、『スペクテイター』の出版において、主体と客体の関係を逆転させたのである。作家というレンズを通して、彼は読者や社会を外枠から観客として観察する一方で、その中心に踏み込んできたのである。アディソンは『スペクテイター』を通じて、顕微鏡のような眼で社会を観察することに成功したと言ってよいだろう。自らをMr.Spectatorと名乗り、レンズとテキストを同一視し、レンズを操る特権的な人物を作者と見なしているのである。ルネサンス期の人体解剖学に対するヴェサリウスの業績以来、顕微鏡の視覚文化が18世紀の文学界に大きな影響を与えたと考えるのは無理もない。


ファニーのレトリックの背後には、覗き見的な側面を包含しながら、顕微鏡の眼で見た性(セクシュアリティ)のドラマが『ファニー・ヒル 一娼婦の手記』のテキストに織り込まれているのである。このテキストにおける性のドラマ化は、自分の感覚や記憶をミクロの視点で拡大することから始めなければならない。それは、裸眼では見えない世界の深層を見つめることである。

 

視覚器官としての目の能力を超えて、ミクロの目を通して見えるものは、眼差しによって顕在化された概念である。ラカン思想の延長線上では、視線は小文字の他者の欲望を反映したものでなければならない。したがって、テキストに織り込まれたセクシュアリティは、実際に目撃したことのドラマ化ではなく、観察者の欲望を反映して変容する能力を持つミクロの眼、ラカンの眼差しによって知覚された概念なのである。


クレランドの父親がアレクサンダー・ポープの友人であったことから、クレランドがポープと面識があった可能性を考えると、『人間論』からの抜粋は、文学への顕微鏡的光学理論の適用の可能性を観察するためのコンテンツとして提起することが可能である。

 

Alexander Pope, An Essay on Man, in Four Epistles, Edinburgh, MDCCLI, 1751.

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『人間論』の語り手は、「なぜ人間には顕微鏡のような目がないのか(Pope, 8)」という問いを投げかけている。ジェームズ・トムソンも『四季』の中で"microscopic eye"(Thomson, 45)「顕微鏡の目」という言葉を使っているから、この思想が文学作品に浸透していることがわかる。

 

ポープのテキストに戻ると、語り手は「存在の広大な連鎖(Pope, 9)」を超えて、「どんなガラスも到達できない(Pope, 10)」ところを探そうとする。詩の話者が視線の先に見つけたものは、「幸福の場所(Pope, 35)」の発見で描かれている。『人間論』本文の35ページのハイライト部分は、最後に到達したファニーの視点を表しているように見えるが、ミクロの視線の先に見えるのは、偽装されたイデオロギーの形式によって形作られた風刺なのかもしれない。例えば、ポープの「存在の広大な連鎖(Pope, 9)」が、『ファニー・ヒル 一娼婦の手記』の本文中で反転していることを見てみることにする。ファニーは次のように述べる。

 

I had now, through more than one rent, discovered and felt his thighs, the skin of which seemed the smoother and fairer for the coarseness, and even the dirt of his dress, as the teeth of negroes seem the whiter for the surrounded black;...(John Cleland, Memoirs of a Woman of Pleasure, p.162) 私は彼の服のあちこちの隙間から透けて見える、その太ももに手を触れてみたのですが、ちょうど黒人の歯がその周囲の皮膚の黒さと対照して一段と白く見えるのと同様に、それも服の粗末さと汚れのために一段となめらかで色白く見えたのです。

 

この眼差しのテーマは、ラカン的な精神分析的視点からポストコロニアル的視点に拡張できる。ファニーの少年に対する視線は、少年の性(セクシュアリティ)を捉えることで、眼差しによって彼自身の所有物である身体の所有を奪うという、植民地主義における搾取者の視点を反映したものである。かくして黒と白は反転し、また初めて性に目覚めた彼は、ベッドの上で野蛮でありながらも気高く振る舞う。まさに両者の立場が劇的に逆転する瞬間である。このように、ファニーは、搾取する側とされる側が入れ替わる可能性を身をもって体験している。

 

ファニーは小説の最後で、チャールズの “plea of love (186)”「愛の訴え」についに支配されたと述べるが、彼女の主張とは逆に、実際にチャールズを愛の訴えで支配したのはファニーなのである。ファニーは、結婚制度を利用して、妻ではなく、彼の象徴的な父親、あるいはラカンの「父の名」の概念として、チャールズの心理的領域を植民地化しているのである。それは、かつて父親のためにイギリスを追われた彼が、ファニーとの結婚によって正当な方法で祖国に帰ることができたからである。

 

ファニーの結婚の理由も同様で、ファニーが公的な女性から妻になることを容易にしたのは、潜在意識レベルでの階級意識によるものであり、それはちょうど、コーヒーハウスが排他的階級意識による私的空間の裏側に公的空間を作り出すのと同じである。ファニーの結婚の理由の説明は、チャールズの愛の力によって正当化されるが、その裏返しとして、彼女の階級意識は、彼女を正当に上流貴族の仲間入りをさせる原動力として機能した可能性がある。

 

Text

John Cleland, Memoirs of a Woman of Pleasure; edited with an introduction and notes by Peter Sabor, Oxford; New York: Oxford University Press, 1999.

Bibliography

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https://www.gutenberg.org/files/12030/12030-h/SV1/Spectator1.html

 

Ibid. , Vol. 2, (No. 281, Tuesday, January 22, 1712), London: George Routledge and sons, Limited, 1891. 

https://www.gutenberg.org/files/12030/12030-h/SV2/Spectator2.html

 

Ibid. , Vol. 3, (No. 445, Thursday, July 31, 1712), London: George Routledge and sons, Limited, 1891. 

https://www.gutenberg.org/files/12030/12030-h/SV3/Spectator3.html

 

Habermas, Jürgen. The Structural Transformation of the Public Sphere: an inquiry into a category of Bourgeois society, translated by Thomas Burger in association with Frederick Lawrence, Cambridge, Mass.: MIT Press, 1989. PDF.

 

Hogarth, William. A Harlot’s Progress, Plate 1, Lewis Walpole Library Digital Archive. 

http://findit.library.yale.edu/catalog/digcoll:2808298 

 

Ibid., Plate 6, Lewis Walpole Library Digital Archive.

http://findit.library.yale.edu/catalog/digcoll:2807180

 

Lacan, Jacques. “The Split Between the Eye And the Gaze”, “The Line and Light”. The Four Fundamental


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Nicolson, Marjorie. “The Microscope and English Imagination”, Science and Imagination, 155-234. Hamden, Conn.: Archon Books, 1976.

 

Pincus, Steve. “Coffee Politicians Does Create”: Coffeehouses and Restoration Political Culture, The Journal of Modern History, Vol. 67, No. 4 (1995): 807-834, The University of Chicago Press, JSTOR.

Pope, Alexander. An Essay on Man, in Four Epistles, 1751. ECCO.

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