Dr. Mutsuko Takahashi BLOG

ニューヨーク在住、英文学博士・個人投資家の高橋睦子【Mutsuko Takahashi】です。ブログへのご訪問ありがとうございます。

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18世紀のセクシュアリティ研究:同性愛 Part1 (1/2)

ランドルフ・トランバッハ (Randolph Trumbach) の論文、"The Transformation of Sodomy from the Renaissance to the Modern World and Its General Sexual Consequences"に基づいて、18世紀のセクシュアリティを同性愛の観点から考察します。

 

トランバッハの論文では歴史的な史実をもとに、彼の発見が記されていますが、なぜそのようなことが起きたのか理由が述べられていません。そのため、私がいろいろ仮説を立てて、それを裏付ける証拠を挙げて解明を試みたいと思います。

 

 

ポイント

トランバッハの歴史的発見

  • 1700年以降、ヨーロッパで突如セクシュアリティに変化が起こった。
  • 1700年以降の一世代で急速に変化は起こった。
  • すべての社会階級の間で変化は起こった。
  • イギリス、フランス、オランダの3か国で変化は同時に起こった。
  • 上記3か国の変化は、ヨーロッパの隣国に広がる前に中国や日本に届いた。
  • 男女それぞれ同性愛が行われていたが、男性のみに法的資料が存在する。

 

はじめに

背景

トランバッハは、1700年以降のヨーロッパにおける人々の性的関心と機能は、1700年以前のセクシュアリティとは完全に異なっていたと述べています。

 

さらに、この明らかな変化は、イギリス、フランス、オランダの3か国にまたがるすべての社会階級の間で偶然にも1700年以降の一世代のうちに急速に起こりました。

 

しかしトランバッハは、上記の歴史的発見をしたことを論文で述べていますが、理由については述べていません。

 

このブログ記事の目的

先に述べた通り、トランバッハは歴史的調査の報告を彼の論文で行っていますが、いったいなぜなのか、その理由については述べていません。

 

そのため、このブログ記事は、トランバッハの論文の重要な発見に従って、なぜそのようなことが起きたのか、それぞれの事柄に対して私が仮説を立て、その原因を解明しようとする試みです。

 

注:OEDによると、"Homosexual"という言葉が最初に使用されたのは1891年ですが、この記事では便宜上この単語の日本語に相当する 「同性愛」という用語を使用します。

 

1700年以前の状況

トランバッハによれば、同性愛は1700年以前は男性と女性の両方で広く蔓延していました。すべての男性の性的対象は、女性と思春期の少年の両方でした。また女性も、男性と女性の両方を性的対象としていました。

 

トランバッハは歴史家なので、史実に関する信憑性は高いですが、念のために当時の混沌とした性的指向を裏付ける証拠を見つけてみましょう。

Nicolas Venette (ニコラ・ヴェネット)のThe Mysteries of Conjugal Love Reveal’d を証拠となる参考資料として挙げたいと思います。

 

ちなみに、上記のヴェネットの本は販売もされていますが、このような18世紀の歴史的資料は Eighteenth Century Collections Online (ECCO) で無料で見ることができます。ECCOはログインが必要なので、研究者の方は所属の研究機関を通じて閲覧可能です。

 

さて、ヴェネットのHermaphrodite (雌雄同体)に関する研究は、当時の混沌とした性的指向を裏付けるために適用することができます。ベネットの本によれば、思春期の少年は男性の範疇に属さない雌雄同体の一種と見なされ、同性愛の女性も雌雄同体の一種に分類されていたことが記されています。

 

ということは、つまり性別は3種類あるので、理論的には第三の性との性交を同性愛とは言えません。ヴェネットは1633年から1698年まで生きたので、彼の研究は1700年以前の時代に適用できます。

 

しかし、彼の生きた時代よりも、もっと前の時代の状況も立証するために、16世紀にさかのぼって解剖学者アンドレアス・ヴェサリウス (Andreas Vesalius)の解剖図を参考資料として挙げたいと思います。

 

こちらはヴェサリウスによるヒトの生殖器官の解剖図です。

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ヴェサリウスの解剖図

 

 

左は男性で右は女性のものです。しかし、よく見れば両者は単に反転しただけだと観察することができます。

 

ヴェサリウスの解剖図を用いて、先に立てた仮説の立証を試みると、この生殖器官の反転画像は、2つの性の統一を示唆することができます。男女の二つの性の生殖器に大きな違いはないとなれば、異性との性交はすでに同性愛の側面を伴っているのではないか。もし、すべてのケースが同性愛の様相を含んでいる考えるならば、あらゆる性との性交を行う行為は正当化されることになります。


1700年以前のイデオロギーを反映した例として、トランバッハの記事の図1: Francesc Ribaltaの絵を上げることができます。ヴェネットの理論のレンズを通して見た場合でも、ヴェサリウス生殖器の解剖学を通して見た場合でも、成人男性の受け入れは物議を醸すものではありません。キリストが彼に抱擁を与えるとき、どんな成人男性も受動的な存在になるでしょう。

 

1700年以降の突然の変化の到来:国別

イギリス

トランバッハは、1700年以降、北西ヨーロッパ(イングランド、フランス、オランダ)で突然の変化が起こったことを知らせています。彼によると、1700年以前は当たり前だった同性愛が、1700年以降に突如当たり前ではなくなり、同性を性的対象として望んでいる男性は通常のパターンからの逸脱だと考えるようになりました。まずは、イギリスから見ていきましょう。

 

なぜこのような変化が起きたのか。まず、変化がすべての社会階級に渡って特定の地域で同時に起こったというトランバッハの論文の重要な発見に対して、なぜそのようなことが起きたのか、その理由に対する私の仮説を述べたいと思います。

 

このような突然の変化をもたらしたのは、おそらく1695年の印刷法のライセンスの満了による廃止です。1695年に印刷法が廃止されたことを受けて、言論の自由が獲得されました。実際、トランバッハの論文で紹介された芸術作品には、当時のイデオロギーが反映されていることがよくわかります。芸術作品に関する更なる詳細は、Part2で述べます。

 

 

この仮説を裏付けるために、1695年の印刷法の正式な満了前に廃止と更新が繰り返された短い期間に焦点を当てます。

 

印刷業における法令違反の当時の裁判記録を見てみましょう。裁判記録は オールド・ベイリー(中央刑事裁判所) で閲覧することができます。

 

オールドベイリーの裁判記録でこの時期の印刷業における前科を調べてみると、印刷法の廃止と更新が繰り返しが、印刷の公序良俗に著しく害を及ぼしたことがわかります。 【検索ワード:seditious libel (治安妨害文書; 文書扇動罪)】

 

さらなる証拠を見つけるために、James Aloysius Stanislaus Callanan (ジェイムズ・カラナン)の A History of Literary Censorship in England を参考資料として挙げたいと思います。

 

カラナンは、彼の研究書で印刷法の一時的な有効期限と更新年について言及しています。したがって、カラナンが示した歴史とオールドベイリーの犯罪歴の年数を比較すると、これらの印刷法の短期間に廃止と更新を繰り返す一時的な変化が明らかに一般市民に影響を及ぼしていることがわかります。

 

しかし一方で、この変化のために国民は言論の自由にさらされるようになりました。

 

トランバッハの記事の図3: The Women-Hater's Lamentationに示されているソドミーの画像は、ソドミーの凶暴な側面を示しています。出版年は1707年であるため、1700年以降の急激な変化の時代と一致します。プレス法の認可の満了により、さまざまなメディアを通じて罪悪感が一般に浸透したと推測できます。


トランバッハは、レズビアンに関する法的情報源が見つからないことから、女性同性愛者は男性同性愛者と同じ影響を社会に与えなかったと述べています。

 

ここでもまた、トランバッハは歴史的発見を述べていますが、理由については述べていません。そのため、再び仮説を立てたいと思います。

 

なぜレズビアンに関する法的情報源が見つからなかったのか。その問題を解く鍵は、同性愛に関する法的処置であるというのが、私が立てた仮説です。

 

ソドミーは当時のイギリスで刑事罰の対象となっていたため、違反した場合は前科を示すような法的情報源に表示されました。一方、レズビアンは宗教的な観点からは「罪 (Sin)」である可能性がありますが、法的な「犯罪 (Crime)」の対象ではありませんでした。

 

ゆえに、この事実は、レズビアンに関する法的資料が残っていない理由を裏付けることが出来ます。

 

もう一つ考えられる理由として、レズビアンに関しては意図的に保護されている可能性があります。というのは、女性同士の性愛が男性の性的関心を掻き立てることによって、異性愛の要素を含む可能性があるためです。

 

 

フランスとオランダ

情報配信の背後にあるのは、芸術、文学作品、その他のコミュニケーション媒体などです。トランバッハによれば、1700年以降の最初の世代では、変化はイギリス、フランス、オランダでのみ発生していました。南部と東部ではまだ変化はありませんでした。

 

しかし、新しい性的体制は、南ヨーロッパと東ヨーロッパに到着する前に、18世紀にすでに中国と日本に到達していました。これはいったいどういうことでしょうか!?ここでもまた、トランバッハは彼の歴史的発見を述べていますが、理由については述べてませんので、私が仮説を立てたいと思います。

 

イギリス・フランス・オランダで突如起こった変化が、南ヨーロッパと東ヨーロッパに到着する前に、すでに中国と日本に到達していたという歴史的事実から、この変化に影響を与えた情報ネットワークは、陸上貿易ではなく、主に海上貿易のパイプラインを通じて拡散したと推測できます。

 

1695年にイギリスでのプレス法の認可が満了すると、言論の自由の影響はすぐにフランスとオランダの近隣諸国に広がりました。言語メッセージによって配信される出版物だけでなく、芸術作品によって生成される非言語メッセージも、リテラシーと言語の壁を越えて広く普及したに違いありません。

 

言語メッセージから非言語メッセージまで、あらゆる種類の出版物や芸術作品が翻訳され、解釈され、海上輸送ルートを通り抜け、急速にアジアに到達したというのが私の仮説です。

 

トランバッハは、キリスト教の教義は1700年以前は男性のソドミーへの欲求を規制できなかったと述べています。一方、18世紀初頭のイギリス人は、古代人にソドミーの罪深さを教えたのはキリスト教であると主張していたと述べています。

 

トランバッハはこの点について明確な発言をしていませんが、18世紀以降にキリスト教ソドミーを支配できたかどうかという問題に対して懐疑的な立場を取っていることがわかります。それは、イギリス人のキリスト教に基づく功績に言及した直後に、ローマカトリックであろうとイスラム教徒であろうとソドミーがいたるところにいたと述べているからです。

 

これを受けて、私の考えを述べると、キリスト教が古代人のソドミーを規制したというイギリス人の主張は受け入れがたいということです。なぜなら、日本の場合、キリスト教は1549年にフランシスコ・ザビエルによってすでに日本に到達していたからです。彼は日本とインドで宣教活動をしました。それにもかかわらず、トランバッハが述べているように、ソドミーは18世紀の時点で中国、日本、インド、イスラム社会に存在していた。この事実は、英国人の主張に反論する可能性があります。

 

罪 (Sin)である可能性があるが犯罪 (Crime)ではないレズビアンのケースに示されているように、ソドミーを規制するものは宗教的制限ではなく刑事罰であったと推測できます。

 

この記事のPart2はこちら→18世紀のセクシュアリティ研究:同性愛 Part2 (2/2) - Mutsuko Takahashi BLOG

※ トランバッハの論文で紹介された芸術作品には、当時のイデオロギーが反映されていることがよくわかります。芸術作品に関しては、Part 2で詳細を述べます。

 

 

 

 

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