Dr. Mutsuko Takahashi BLOG

ニューヨーク在住、英文学博士・個人投資家の高橋睦子【Mutsuko Takahashi】です。ブログへのご訪問ありがとうございます。

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ヘミングウェイの文献:理論的アプローチ

この記事では、ヘミングウェイの文献で、理論的アプローチをしている本を紹介します。また、これらの本を選んだ理由も述べます。

 

 

Gloria Holland and Lawrence R. Broer, Hemingway and Women 2002.

この本は、ジェンダー的視点からヘミングウェイの作品にアプローチを試みます。ヘミングウェイと女性との関係について、2つの主要な観点から説明しています。1つは小説の女性キャラクターからのもので、もう1つは実際の女性との関係からのものです。

 

女性登場人物の議論では、『日はまた昇る』のアシュリー、『武器よさらば』のキャサリンバークレー、『エデンの園』の登場人物をジェンダーの問題に照らして考察しています。

 

この本を選んだ理由は、ジェンダーの問題に照らし合わせてヘミングウェイの作品を読むことは面白いと思ったからです。実際、ヘミングウェイに対するジェンダー的考察は、歴史的に推移してきました。ヘミングウェイの以前の研究と言えば、マッチョの側面ばかりに焦点が当てられ、やれ女性嫌いやら、女性軽視やらで、フェミニストたちが彼を煙たがっていました。しかし、最近の研究になるにつれ、フェミニストたちがこぞって彼に注目して研究対象とするようになりました。それはなぜか!?

 

まあ、この質問に対する私の答えは当然あります。様々な考えがあると思いますが、一例として簡単に私の考えを述べるならば、マッチョというのは表面ばかりで、作品を注意深く読めば読むほど、彼の繊細さがにじみ出ているからです。また、ユングのアニマとアニムスの概念の延長線というか、男性性の中に女性性を垣間見る事もできます。

 

彼の繊細さに関して、より具体例を挙げるなら、別記事で『武器よさらば』の「まるで彫像にさよならを言うようなものだった」というところで、何度読んでも私は泣いてしまうと書きました。この、愛する人の亡骸を「彫像」とか形容して、人をモノみたいに言うな!とお怒りになる方もいるかと思います。しかし、「彼女が動いているのを見るのが好きだった (第6章)」と、かつて彼が言っていたことと身動きしない「彫像」を結び付けると、底知れない虚しさの究極的なドラマ化だと私は解釈してるのです。淡々としているところが男性性のイメージを保っているように見えますが、実はものすごく繊細で、そのような部分が垣間見えるからこそ、近年彼の作品を肯定的に捉えるフェミニストたちが現れてきたのではないでしょうか。

 

Michael S. Reynolds, The Sun Also Rises, A Novel of the Twenties, 1988.

この本は、歴史的文脈に照らして、重要性、評判、物語、構造、象徴性など、複数の観点からヘミングウェイのテキストの詳細を分析しています。

 

この本の最も興味深い部分は、『日はまた昇る』のジェイクのお金への関与が議論されていることです。別記事で、『日はまた昇る』の価値の交換について書きました。「価値の交換」、あるいは「お金と製品」という観点からこの作品を眺めるとき、この研究書は大変参考になるので、私はこの本を選びました。

 

この本は、ジェイクの金遣いの荒さを指摘しています。また、当時の経済成長による金銭的価値の変換にも言及されていて、さらに彼がパリにいることを指摘しています。この見方は、「価値の交換」の文脈で作品を読むのにとても役立ちます。

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