Dr. Mutsuko Takahashi BLOG

ニューヨーク在住、英文学博士・個人投資家の高橋睦子【Mutsuko Takahashi】です。ブログへのご訪問ありがとうございます。

mutsuko takahashi

アイデンティティの再統合:ヘミングウェイ

アイデンティティの再統合という観点から、ヘミングウェイの短編『キリマンジャロの雪』(1936)、『老人と海』(1952) を挙げます。

 

 

キリマンジャロの雪』と『老人と海

キリマンジャロの雪』と『老人と海』には多くの共通点があります。年数の大きく離れた二つの作品が強く結びつく感じで、これらの作品は精神的崩壊からの自己統一のプロセスを劇的に描こうとしているのを観察することができます。

 

極端な話、これらの作品は、プロローグとしての『キリマンジャロの雪』から始まり、エピローグとしての『老人と海から』へと結び付いている、1つの作品のようなものといっても過言ではないかもしれません。

 

キリマンジャロの雪』においてハリーは負傷しており、『老人と海』においてサンチャゴは老化しています。どちらの作品も、本人の理想とは裏腹に現実的には思うように能力を発揮できないヒーローを劇的に描写しています。

 

両者の作品に登場する動物の象徴的な役割も重要です。『キリマンジャロの雪』のヒョウ、ハイエナ、鳥はそれぞれ、『老人と海』のカジキ、サメ、猫に対応しているように思えます。例えば、ヒョウとカジキは英雄の勝利と敗北を象徴しているといえます。ハイエナとサメは主人公の夢と希望の剥奪を象徴しています。ヒョウとカジキの関係と、ハイエナとサメの関係は、似たような役割を象徴している組み合わせですが、それとは対照的に、『キリマンジャロの雪』の鳥と『老人と海』の猫は、反対の役割を象徴する組み合わせです。というのも、鳥は主人公の運命を予言するメッセンジャー的な役割を担っているのに対して、猫は老人とはまるで別世界にいるかのように、主人公の運命を完全に無視する生き物として描かれているからです。

 

疲れ果てて戻ってきた老人に対して、彼の存在そのものを無視して通り過ぎる猫は、主人公の空虚感をより一層浮き彫りにします。この猫の役割は、終盤で登場するアメリカ人観光客のカップルによって強化されています。スペイン語圏における言語の壁によって状況をまったく理解していないアメリカ人カップルと、老人の存在を無視して通りかかった猫というふたつの見知らぬ存在が、物語の外側から第三の視点を提供しています。

20200822015235