Dr. Mutsuko Takahashi BLOG

ニューヨーク在住、英文学博士・個人投資家の高橋睦子【Mutsuko Takahashi】です。ブログへのご訪問ありがとうございます。

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アメリカの博士課程:口述試験

アメリカの大学院では、博士課程のコースワークをすべて終了すると、Ph.D. Qualifying Examという博士号取得のための口述試験を受けます。この口述試験は、たった一度きりのチャンスです。合格しなかったら、二度目のチャンスはなく、博士課程から去らなくてはなりません。そのため、絶対に合格して突破しなければならない重要な難所です。

 

それぞれの大学院や専門分野によって、多少違うと思うので、自分の経験を通した私の場合について書きます。

 

 

試験官となる3人のコミッティーを決める

この試験は、3人の教授からなる「コミッティー (Committees) 」を自分で選んで、ぜひ試験のコミッティーになってほしいと教授に直接連絡を取ってお願いします。申し出を受け入れてもらったら、1セメスターの間、それぞれの教授のもとで指導を受けながら試験に向けての研究を行います。

 

3つの分野を網羅する

3人の教授を選ぶ際は、自分の研究に関係ある3つの分野をそれぞれがカバーする専門の教授を選びます。3つの分野はなるべくそれぞれが関係性が深い方が好ましいです。専門家を目指すため、広範囲にわたって網羅することが目的なのではなく、特定の範囲のより深い知識が要求されます。フェミニズムの研究だったら、3つの分野がそれぞれフェミニズムに何らかの形で関係していることが必要です。また、イギリス文学とカリビアン文学のように一見まったく異なるように見える分野でも、ポストコロニアリズムの観点から研究する場合は、両者を密接に結びつけて考えることが可能です。一般的には、誰が見ても近い分野だと思えるような3つを選ぶ方が無難です。

 

私の場合は、「ヴィクトリア朝イギリス小説」、「ロストジェネレーションアメリカ小説」、「モダンからコンテンポラリーのアメリカ詩」と、一見広範囲に渡っているかのように見える分野を選びましたが、「抑圧」の研究で「失われたアイデンティティ」あるいは「剥奪されたアイデンティティ」にフォーカスして、どのように始まってどのように時代の変わり目を迎えてきたのか精神分析的にアプローチしたので、これらの範囲を密接に結び付けました。この研究がなぜ大事なのか、どこが大事なのか、これらの分野がどのように結びつくことが出来るのかを明確に提示して教授を説得できれば、一見広範囲に見えたとしても、説明によって密接な関係を証明できれば大丈夫です。もちろん、博士論文を書く際には範囲を狭めて一つの分野を深堀します。

 

75冊の本を読んで文献リストと理論的根拠を提出する

1つの分野に最低25冊の本が必須要件なので、3つの分野だと合計75冊の本が必須要件です。この1セメスターの間、75冊の本を熟読します。試験で問われるのは、この75冊の本に関してです。

 

75冊の本 (25冊×3分野) の文献リスト (Reading List) と、それらの本を選んだ理論的根拠 (Rationale) を仕上げて、コミッティーメンバーである3人の教授と、大学院の学科の代表教授に渡します。この文献リストと理論的根拠を作成するまでには、教授の指導を受けながら研究を進めます。

 

75冊の本のポイントを整理する

75冊の本の内訳ですが、3分の2は文学作品で、残りの3分の1は文学研究の批評や論文集の本です。文学批評はフェミニズム、ポストコロニアリズム精神分析などに分けて、誰のどの批評が、どの作品に応用可能か、またその理由はなぜかを整理します。

 

例えば、GilbertとGuberのThe Madwoman in the Attic (『屋根裏の狂女』)は有名なフェミニズム視点で、シャーロットブロンテのジェインエアの批評を展開していますが、SpivakはCan the Subaltern Speak?: Reflections on the History of an Idea (『サバルタンは語ることができるか』) において、GIlbertとGuberがフェミニズムだけに焦点を当てて、ポストコロニアル的な視点を見逃していると反論しています。

 

確かに、その主張は一理あります。しかし、何事も新しい研究になるにつれてアップデートしていきますし、またそうならなくてはいけないのが研究者の役割です。ポストコロニアル問題について考える際に、フェミニズム問題からスタートすることは良いことだと、私は考えています。

 

フェミニズムとポストコロニアリズムの問題を分けて考える研究者もいますが、私の考えではこの両者は密接に結びつきます。例えば、イギリス国内で『ジェインエア』の主人公ジェインは女性として弱い立場に押しやられていますが、バーサの出身地西インド諸国や、セントジョンが向かった東インドなどに対しては、帝国側の人間として強い立場に逆転します。つまり、フェミニズムの問題の太枠にはポストコロニアルの問題があって、両者は切り離すことのできない関係にあるというのが私の考えです。

 

文学批評を応用して独自の理論を展開する

ジェインエア批評は明らかにフェミニズムやポストコロニアリズムの視点で論じられる対象ですが、他の作品にもこれらの理論が応用可能かどうか、どのように応用できて、またその理由はなぜかを明確にします。

 

例えば、『嵐が丘』にはフェミニズムの問題と掛け合わせてポストコロニアル的アプローチを可能にする明らかな足跡は残されていませんが、その痕跡を見つけ出して応用することが可能です。ジプシーみたいな外見の孤児ヒースクリフが、イギリスの結婚制度を利用してアウトサイダーから中心位置を乗っ取ります。それはポストコロニアル的な主題を含意しているし、フェミニズムと結び付けるには、キャサリンの有名な言葉、"I am Heathcliff"という社会文化的には運命共同体精神分析学的にはAlter Egoということから裏付け可能なように、キャサリン自身の問題と結び付けて考えることが可能です。キャサリンは非常に強い女性のように見えますが、エドガーと結婚することを選んだことからもわかるように、彼女は明らかに時代の犠牲者です。

 

いよいよ口述試験

口述試験を迎えるまでに、75冊の本の内容と、ありとあらゆる応用の可能性の考察をすべて頭の中に叩き込まなくてはなりません。口述試験では、メモやノートを見てはいけないので、頭の中に完全に叩き込んでおく必要があります。

 

口述試験は2時間かけて行われます。この時間はとても短く感じられます。語りたいことが多すぎて、75冊の本すべてについて語るだけの時間はないので、すでに提出済みの理論的根拠 (Rationale) の中から教授が興味深いと思った内容をピックアップして質問をしてきます。ポイントは、本に書かれている内容と、その理論が他のどの作品に応用可能なのか、またその理由は何か、というところが重要です。

 

精神面でのアドバイス

この試験に対するプレッシャーは多大なるものです。一度で合格しないと、二度とチャンスがないからです。だからと言って、張りつめていると良い結果にはなりません。自信を持って試験を迎えるには、75冊の本の内容を頭に叩き込んで応用できるまで完全に自分のものにしておくということは基本です。そうした上で、研究していない時間の間にも、常に考え続ける癖をつけると良いです。常に考える人であることは重要です。寝ても覚めても考え続ける。

 

そこまで準備ができたなら、あとは試験の2時間を思い切り楽しむことです。自分の意見を3人の専門家の前で披露できるなんて、こんな素晴らしい機会に恵まれることは貴重であり幸運です。知識と情熱をすべて口述試験のプレゼンテーションに注ぐつもりで挑みます。

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