Dr. Mutsuko Takahashi BLOG

ニューヨーク在住、英文学博士・個人投資家の高橋睦子【Mutsuko Takahashi】です。ブログへのご訪問ありがとうございます。

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ベラスケスとピカソの絵画の考察

アメリカの大学院では、絵画の考察も文学研究に含まれています。

まずはじめに、こちらのラス・メニーナスと題する絵画をご覧ください。最初のはベラスケスの描いたもので、次のはピカソによるものです。

 

Las Meninas, by Diego Velázquez, from Prado in Google Earth.jpg

 

 

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ラス・メニーナス (1957) 作者:パブロ・ピカソ www.PabloPicasso.org

 

これらの絵をよく見てみると、両方とも同じシーンを描いたものであることがわかります。私はこれらの二つの絵画の像が果たす機能は「鏡像」だと考えています。

 

そして二つの絵を比較する以前に、それぞれの絵自体が、つまりベラスケスの作品、ピカソの作品が単体で、すでに鏡像のテーマを含んでいると思っています。

 

ベラスケスの絵もピカソの絵も、どちらの場合も我々観客の前に提示されているこれらの絵画の中心的な人物は二人存在します。一人は絵の中の筆を握っている画家、もう一人は絵の外でこの絵を描いている画家です。

 

一見「絵の中の絵」のように見える王と女王の肖像画が観客の注意を惹きつけるかもしれません。ところが注意深く見てみると、それは王と女王の肖像画ではなくて、鏡に映っている王と女王の鏡像であり、実際の王と女王はこの作品の外側で絵を眺めているようにも解釈できます。

 

そういった解釈も可能ですが、あえて別の角度から解釈を試みたいと思います。

 

実際の状況においては、絵は画家によって描かれています。そして絵の中の画家もまた絵を描いています。つまり両者は互いに鏡像関係にあって、ジャック・ラカンの言う「まなざし」の概念が適用されるかもしれません。したがって、画家が本当に見ているのは画家自身です。言い換えれば、絵の中の画家もまた絵の外側にいる彼の自己の半分、あるいはもう一人の自分を見ているといえます。

 

この考えを支持するために、私は絵の中の画家の立ち位置を指摘したいと思います。彼はキャンバスから離れたところに立っていて、まるで観客の前に自分の存在を見せているかのように中心にやや近づいています。

 

そのように、絵の中の画家は実際の画家の鏡像であり、絵の外側にいる画家は彼自身と彼の周囲を描いているという見方が可能です。この画家の組み合わせは、一人は絵画の内側、もう一人は絵画の外側の、フロイト的に言えば無意識と意識、エゴと主体Sの概念、あるいはラカン鏡像段階の理論とその延長としてのまなざしの概念と解釈することができます。つまりラカン的に言えば、鏡像段階における鏡を見ている主体Sと鏡の中でそれを見ている鏡像。さらに突き詰めて考えれば、ラカンのまなざしの概念で、鏡像の自分を見ているEgoと、そのまなざしの先にある「小文字の他者 (objet petit a)」であると解釈することが可能です。あるいは、ソシュールシニフィアンシニフィエの概念を適用することもできます。

 

ベラスケスの絵の中には、ピカソ脱構築的な絵画の前兆となるものがすでに存在しているということもできます。ベラスケスは写実主義的な像を描写し、一方ピカソは象徴的な像で劇化しています。ベラスケスの絵画は登場人物の立ち位置、状態、関係を完全に明らかにしていませんが、ピカソ脱構築することによって逆に観客が背景的な情報を知らなくてもそれらの要素を観察できるようにスポットライトを当てています。それは二項対立的な要素、明↔暗、高↔低、近↔遠、そして中心的要素と周縁的要素という形を取って表現されています。

 

ピカソはベラスケスの絵画を脱構築し解体することによって、原型的な対象物を象徴的に描き、肉眼では不可視の次元を捉えています。それは我々自身の精神の目によってのみ知覚することのできる、肉眼で見ることのできない実態をドラマ化しています。

 

ベラスケスの絵画では、絵の外側の画家は文字通り絵の外側にいると想定できますが、ピカソの絵画は、外側にいるはずの画家の存在の概念を絵の中に包含しています。それは二つの顔として表されています。絵の中の画家はヤヌスを思わせるような二つの顔を持っているように見えます。しかしヤヌスの顔は反対方向を向いており、画家たちは向かい合ってお互いを見ています。それどころかロールシャッハテストのモチーフのようにさえ見えます。

 

これらの二つの顔は絵の中の画家と絵の外の実際の画家の鏡像の表現です。二項対立を強調するだけでなく、ピカソは絵の中に描かれている二つの顔を描いています。そのうち一つは絵の中に描かれている画家であり、もう一つは絵の外の本当の画家の姿を反映しています。

 

このように、概念として存在はしているもののベラスケスの肖像画には物理的に欠けていたもう一つの人格を追加することによって、ピカソはベラスケスの絵画に欠如している、不在の、あるいは周縁の対象物を提示することで、絵画の中心的な客体を明らかにしたといえます。

 

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