Dr. Mutsuko Takahashi BLOG

ニューヨーク在住、英文学博士・個人投資家の高橋睦子【Mutsuko Takahashi】です。ブログへのご訪問ありがとうございます。

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アイデンティティの喪失:ヘミングウェイ

アイデンティティの喪失という観点から、ヘミングウェイの『武器よさらば』(1929)、『エデンの園』(1986)、『誰がために鐘は鳴る』(1940)を挙げます。

 

武器よさらば

この作品は、ヘミングウェイの戦時中の体験の細部を劇的に描いています。アイデンティティの喪失という観点から作品を考察するために、キャサリンフレデリックの両方が喪に服していることに着目することは重要です。二人とも、喪失に苦しんでいますが、彼らの喪に対する態度は根本的に異なる方法で現れます。

 

キャサリンは婚約者を戦争で亡くしたことから、個人的な喪失に苦しんでいます。一方フレデリックは戦争によって社会的な喪失に苦しんでいます。キャサリンフレデリックで失った婚約者の喪失を埋めようとします。一方フレデリックは、タリアメント川を泳いで逃げるとき、戦場を放棄します。

 

キャサリン心理的に喪失した部分をフレデリックで補おうとしたために、自己と他者の境界を見失います。詳しくは、フロイトの喪の理論の記事で説明します。

 

 

彼女はフレデリックを自分の憂鬱な孤立した世界に引き込むことで、彼女のアイデンティティを彼と同化させようとします。キャサリンフレデリックが自分と同じ姿をすることを求めます。彼女は恋人同士の親密感を超えて、自己と他者の境界を越えたナルシシスティックなアイデンティティを目指しています。

 

また、個人的な感想になりますが、私がこの作品で特に感銘を受けるのは、フレデリックがキャサリンの亡骸を「まるで彫像にさよならを言うようなものだった (第41章)」と形容するところ。読むたびに、この部分で何度でも泣いてしまう。底知れない虚無感の表現。これで私はヘミングウェイの作品が好きになったようなものです。

 

エデンの園

この作品でもまた、ナルシシスティックなアイデンティティが希求されます。この小説で劇化されたアイデンティティの問題を検証するために、作品中に頻繁に登場する「鏡」のモチーフは 重要です。鏡は、キャサリンの身体的および心理的変化を反映しています。彼女は髪を短く切って男性らしくなろうとします。彼女の飽くなき欲求は、自分の外見を女性から男性に変えだけでは満足せずに、夫であるデイビットにも同じことを要求し、彼はしぶしぶ彼女の申し出を受け入れます。彼の受容は、男性性から女性性への彼の変容を象徴しています。

 

キャサリンとデイビットの関係は、性別の役割が逆転したものの、男 vs 女の二項対立を維持しています。ところが、そこにレズビアンのマリータが関与することによって、男女の二項対立の不均衡を引き起こします。そのため、エデンの楽園は喪失するリスクにさらされます。

 

夫婦間で男女の役割を交換するというキャサリンのプロジェクトは、マリータのデイビットへの情熱的な愛と、デイビットの男性的なアイデンティティを取り戻したいという彼の願望によって妨げられます。マリータは同性愛者から異性愛者に変身し、デイビットは男らしさを取り戻し、キャサリンは最後に去ります。かくして楽園は回復したかのようになります。少なくとも表面的には。でも実際にはどうでしょう!?キャサリンを排除することによって、男性が男性らしさを持ち、女性が女性らしさを持っているエデンを再開しましたが、パートナーがキャサリンからマリータに置き換えられただけのことで、依然として不穏な空気が漂っているように思います。

 

誰がために鐘は鳴る

この作品は、幅広い政治的、心理的領域をカバーしています。この小説でもまた、ナルシシスティックなアイデンティティの様相が展開されます。 マリアは、自分のアイデンティティがロバートのアイデンティティに完全に溶け込んでいると信じています。

 

マリアに対するロバートの態度は、か弱い女性を暴力から守るための彼の男らしさによって動機付けられていることから、 彼は家父長制のモデルだといえます。 したがって、ロバートの男らしさは、女性を保護するためのものというよりは、むしろ本質的に感情的、性的暴力と関連しています。 実際、彼の性的欲求はレイプと大差ありません。

 

ロバートはマリアに「話すな」と繰り返し言い、マリアを抑圧しようとします。 結局のところ、ロバートが制御できない性的欲求を暴露することによって彼女にしたことは、ファシスト兵士による彼女へのレイプと同じでした。 一方、より大きな枠組みの中で、ロバートもまた暴力の犠牲者です。その点において、 両者とも精神分析的に去勢されています。というのも、マリアはファシスト兵士によるレイプの被害者で、ロバートは砲撃で足を負傷するからです。

 

 

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