Dr. Mutsuko Takahashi BLOG

ニューヨーク在住、英文学博士・個人投資家の高橋睦子【Mutsuko Takahashi】です。ブログへのご訪問ありがとうございます。

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アイデンティティの喪失:フィッツジェラルド

この記事では、アイデンティティの喪失という観点において、フィッツジェラルドの『トリマルキオ』(2000)、『ジャズ・エイジの物語』(1922)、『若者はみな悲しい』(1926) を挙げます。

 

 

『トリマルキオ』

この作品は、『グレートギャツビー』の初期バージョンとして2000年に出版されました。『グレートギャツビー』においては、加筆、削除、修正などが行われていますが、『トリマルキオ』は『グレートギャツビー』の改訂される前の初期バージョンという位置づけです。

 

『グレートギャツビー』はアイデンティティの問題を含みますが、見方によっては『トリマルキオ』の方がより一層その様相を帯びていると言えるかもしれません。というのも、『グレートギャツビー』として作品が完成するまでに、フィッツジェラルドは何度も何度も加筆、修正を行っているのですが、再三に渡って変えた方が良いとアドバイスを受けたのにも関わらず、フィッツジェラルドが断固として変えなかった部分があるのです。つまり、これにより彼にとっての最重要箇所が浮き彫りになると考えることが可能ですね。

 

『グレートギャツビー』において、ギャツビーは、もともとアイデンティティがあいまいな登場人物として作品に現れますが、『トリマルキオ』においては、はるかに曖昧な人物として描写されています。それなのになぜ、『トリマルキオ』の方がギャツビーの本質をより浮き彫りにしていると考えることが可能なのか!?

 

実は、ギャツビーの曖昧さに関しては、編集者のマクスウェル・パーキンスによって繰り返し指摘されてきた問題で、フィッツジェラルドもある程度までアドバイスを聞き入れて、『グレートギャツビー』として作品が仕上がるまでになるべくギャツビーの曖昧性に関して改善しようと試みました。ところが、完成版の『グレートギャツビー』においてもなお、ギャツビーは依然として曖昧な人物のままです。つまり、フィッツジェラルドは、ギャツビーの曖昧性を重要視していたと考えることが可能です。

 

どの部分が加筆修正されたのか遡ることにより、フィッツジェラルドが『グレートギャツビー』を通して何を表現しようとしたのかを知る手掛かりになります。

 

ちょっと話がそれますが、ギャツビーを考察する上のヒントになる話をします。以前、日本の大学院でアーサー・ミラーの『セールスマンの死』という作品を読んだことがあります。主人公の職業は「セールスマン」で、題名にもなるほどなのにも関わらず、何を売っていたのかは最後まで明かされません。何を売っているかくらいの言及を作品中でするくらいはたやすいことだと思いますが、それでも決して明かされることはなかった。それはなぜか!?その答えとして一つの提案ですが、もしかすると彼が売っていたのは自分自身だったのかもしれません。それならば、彼が売っていた商品を明かさない方が、彼が象徴的に売っていたものの正体が見えてくるかもしれませんね。

 

そこでギャツビーの話に戻ります。『グレートギャツビー』において、ギャツビーの仕事に関しては決して明かされることはなく、噂の範疇を超えません。『トリマルキオ』に関しては、噂どころか一切書かれていません。再三にわたって、仕事に関する情報を読者に与えた方がよいとアドバイスを受けたにもかかわらず、フィッツジェラルドはある程度聞き入れたものの、ついに明かすことはありませんでした。

 

つまり、彼を「ギャツビー」にたらしめたもの。無一文から大富豪への彼の変容において最も大事なのは、彼の職業ではないと推測することが可能です。ギャツビーの職業を謎のままにしておくことによって、彼を生み出した要素、彼の運命が普遍的な性質を包含していることが強調されます。

 

 

ジャズ・エイジの物語

 この短編集は、若者のライフスタイルや時代の価値観を描いた作品集です。ジャズエイジは戦後の好景気の時代ですが、同時にストレスの多い状況に苦しむ多くの若いアメリカ人にとって不毛の時代でもありました。

 

この短編集においてフィッツジェラルドは、喜びと悲しみ、光と影、そして夢と現実を描きました。特に、「リッツ・ホテルくらいに大きなダイヤモンド」というタイトルの物語は、『グレートギャツビー』を研究するのに非常に役立ちます。この作品では、アメリカの夢と幻想が`劇的に描かれています。少年のジョンは、父親がリッツカールトンホテルよりも大きなダイヤモンドを所有している金持ちの少年パーシーの家に招待されます。彼の家は莫大な富を体現する城です。一方、豊かな住宅地とは別の場所に、アメリカ社会の死を象徴する12人の村人が住んでいます。この資本主義社会の背景の設定は『グレートギャツビー』でも描かれています。

 

結局、主人公のダイヤモンドに対する夢は、運命のひねりを加えたラインストーンに置き換えられることによって、ジャズエイジのまばゆいばかりの空想を象徴しています。

 

『若者はみな悲しい』

この短編集は、フィッツジェラルドの若さへの探求を観察するのに役立ちます。若さは彼にとって重要な要素でした。この短編集は、フィッツジェラルドが30歳になった年に出版されましたが、30歳というのは彼が若さの喪失を恐れていた年齢でした。若さの喪失という問題は、誰にとっても避けられない道であり、決して取り戻すことが出来ない運命的な様相を包含しています。

 

この短編集の物語は、若かりし時間を喪失する恐怖に対する若者の精神的闘争をドラマチックに描いています。 特に「冬の夢」と「赦免」は『グレートギャツビー』と密接に関連していることがわかります。「冬の夢」はまさに『グレートギャツビー』の圧縮版ともいえます。「赦免」は、『グレートギャツビー』で排除されたギャツビーの子供時代のイメージを想起させます。

 

 

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